なぜラジコンをやめられないのか── 楽しさの理由を言語化してみた

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M9:R/CのKANDAIですッ🫡

ラジコンって、
なんでこんなに楽しくてやめられないんだろう?

速さ?迫力?レースで勝つ喜び?

たしかにそれもあります。
でも最近は、
それだけじゃない気がしているんですよね🤔

そこで自分の気持ちを「言語化」して、
正体に迫ってみました。

また、サーキットでの、
仲間との会話といったことじゃなく
「ラジコンを走らせる楽しさ」にフォーカスしています。

速さや順位も「楽しさ」ではある

ラジコンを始めた頃は、
ただ走らせるだけで楽しめました。

やがて「速く走らせる・タイムが縮む」こと。
そして「レースで成績を残す」こと。
次第にこればかりに意識が向いていきます。

でも「結果」を追いかけるのが、
しんどくなる時があります。

他人と比べてしまったり、
「自分はこんなに出来ないんだ」と、
思ってしまったり。

そういう気持ちになると、
ラジコン自体が嫌いになったわけじゃないのに、
なんとなく走らせるのが憂鬱に感じることもありました。

「好きなことなのになんで?」
そんな違和感を感じるようになったんですよね。

ラジコンは「試せる」遊び

最近あらためて思うのは、
ラジコンが楽しい一番の理由は
「試せること」にあるんじゃないか、ということです。

たとえばこれらの、

  • タイヤを変えてみる
  • 走らせ方を変えてみる
  • ダンパーオイルを変えてみる

といった変更で結果が返る。

うまくいけば「合ってた」と思える。
うまくいかなくても「じゃあ次はどうする?」と考えられる。

ラジコンだと失敗しても、
致命的になることはないですよね
(レース中の失敗は致命的ですがw)。

この「試す→考える→また試す」が、
自分にとってはすごく「心地いい」んだと思います。

きっとうまく「脳の報酬系」にハマってるんでしょう。

同じマシンでも走りは変わる

何も変えていないのに、
走りが変わることがあります。

モヤモヤしてる日は
操作も雑になって、
ミスも増えがちで余計モヤモヤ。

逆に、
気持ちが落ち着いている日は、
なにも変えなくてもちゃんと走る。

ラジコンって、
「自分の状態をそのまま映してくる遊び」なのかも。

ハッピーな日は、
「ハッピーを増幅してくれる」気がする。

だからダメなときは、
「今日はダメだった」で終わらせずに、
「なんでダメだったんだろう?」と考えたくなる。

いつも「ハッピー増幅器」であるために。

「比較」は楽しさでもあり

計測装置があると自分と誰かを「比較」して、
自分のレベルがよくわかり上達に繋がります。

上達の実感はラジコンの楽しさです。
でも「比較」は疲れる原因にもなってしまいます。
SNSで疲れる原因も「他人との比較」ですしね。

また、タイムを見ると、
どうしても数字に意識が引っ張られてしまう。
「もっと速く走らなきゃ」ってなっちゃう。

速くなるには比較は重要。
でも疲れたらいちど比較を休んでみる。

そして、

  • 前回より落ち着いて走れたか
  • 同じ操作を再現できたか
  • 理由を言葉にできたか

初心の楽しさ、
走行自体を楽しむ。

そしてコッソリ、
「過去の自分と比較」する。
これなら疲れにくい。

ステージが上がれば
「もっと速く走らなきゃ」
はまた違うものになりそう。

楽しさは「ステージ」でも変わるんだと思う。

ラジコンが楽しい理由

ラジコンの楽しさって、
一気に上手くなることじゃなくて、

  • 前よりミスが減った
  • その理由が少し分かるようになった
  • 同じ状況で同じ走りができた

そういう、
「少し分かる」が
積み重なっていく感覚なんだと思います。

「速くなったか(結果)」より、
「成長の実感」を得たかどうか。

実感できた日は、
すごく満足感があります。

だからラジコンがやめられない

うまくいかない日もあるし、
落ち込むこともあります。

それでも、

  1. 試して
  2. 考えて
  3. 少し分かる

このループが楽しさの原因で、
ラジコンをやめられないんだと思います。

速さや順位といった「結果」とは違う、
「考える楽しさ」をラジコンを通じて味わう。

それが、
今思うわたしの「ラジコンをやめられない理由」です!

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